【祝】600記事!インターネットの表裏について思うこと
足かけ何年だ?2018年頃から書き始めて、2020、2021年はだいぶ数が減って、ようやっとここにきて600記事になりました。
すごく思うんですけど
結局外に向けて書くブログなので、思ったことを婉曲して書いたり、万人がみて問題にならない内容を選んで書いて、それって本質なのかなぁとか
まあでもいちいち問題になる内容を書いても平和じゃないしなぁとか
だからといって、いいことばっかり書いても
私全然いい人じゃないしなぁ
とかとか
インターネットの表裏
表現の自由という外部に向かって思想・意見・主張・感情などを表現することが認められている一方、誹謗中傷(最近だと大きなものはニュースにもなっているが、発信者情報開示請求は比較的たくさん行われているようです)も問題になっており
人間にもいろいろな人がいるなかで
たとえば発言した側と、言われた(もしくは自分に言われたと思っている)側の価値観が違うと、捉え方も違ってくるし、それを第三者がみたときに「それはいいすぎ」「それは傷つきすぎ」をなにを正しいと捉えて線引きするのかもとても難しい問題
わたしの書いているような1日にそんなたくさんの人に見られないようなブログから、有名ブログ、掲示板でもニッチなものから大きなものまでいろいろある中で、その媒体の影響力とかいろいろな観点から判断するのだろうけど
新しい技術が発展するに伴って考えなければならないリスクも増える、前に書いたことのあるAI人間の件もそうですね、倫理の問題とか
話は飛んで、日本人は自己肯定感が低めだなと思う話
そのままの自分を大事にできずに、落ち込んでしまう人もたくさんいると思う。
もう少し自己肯定感の底上げができると、世の中が明るくなるかもしれない。
人の悪口を言う人も、批判する人も、他人は他人、わたしはわたし、って思えば相手のことが気にならなくなるかもしれない。何かしら気になるからいろいろ言いたくなるんだよね。
言われる側は「自分が間抜けだから相手も間抜けに見えるんだろうな」と心の中で思っておける余裕ができればちょっとは心が軽くなるかもしれない。
そんなお互いの譲歩(譲歩?)が少しずつあれば、インターネット界隈も平和になるかもしれない。
かもしれないオンパレードだけど、その「かもしれない」が実現したら、ニッポンはさらにいい国になるんじゃないかなって思う。
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