問題を問題ということのハードルの高さ
問題の解決を先送りにすることもだいぶ罪深いと思うが、問題に対して「それは問題です」ということが難しい世の中も、だいぶ問題だと思う。
元自衛官の五ノ井さんの問題も、不起訴一転起訴になってみたりしたけどこれってたぶん外向きにやっべーな、問題にしないとやっべーなみたいな社会風潮から問題になったことなんだろうし、オリンピック問題もばれなきゃいっかなー誰ももんだいにしなければ問題にならないことだろうしっていう楽観的な志向から来ているものだろうし。
しかし、問題を問題ということって結構ハードル高い。
実際ほんとに露呈している問題ってどのくらいあるのだろう。
仮にそれはおかしいっていうことであっても、実際当事者になってみると言えないことというのもたくさんあるんだとおもうんだ
それは嫌な思いをした人しかわからないと思う。
たとえば「脅し」とかねほんとにあるみたいですよ
それから自己保身のために人を陥れる人とかね
そういうのと同じ土俵に乗りたくないと思っていても、勝手に土俵に乗せられたりとかね
女性の相談に対しての話し合いの場に男しかでてこないとかね
それを一度経験するとそれでどれだけ精神を削られるかわかるので、おかしいことにおかしいと言わなくなるみたいですよ
それが平和だもの。自分が大事だもの。
でもわたし、自分を大事にすることって大事だと思うんです。
自分を大事にできないと人も大事にできない。
それだったらわざわざ問題を問題というよりも自分を大事にしたいですよね、人間。
そうやって問題を問題と言えない世の中が出来上がっていくんだと思います。
男女平等はあり得ません。
現実、男性が圧力をかけたり、脅したり、暴力的になったときにやはり
女は勝てませんから。
少なくともわたしは、勝てませんから。
ジェンダー論を語るつもりはないけど、
だから男性は苦手です。
そうやって世の中の問題は埋もれていくんですね。
残念。
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