いまさらだけど「俺か、俺以外か」
停滞したメンタルを回復させたのは明らかに「旅行」なのですが、そこからメンタルがまたちょっと強くなって、古い毛が抜けて新しい毛でボーボーになってきたわたしの心臓さん。
おかげで最近は体力も気力も結構いい感じに保てている。運動や勉強などにもしっかりと力をつかうことができるようになった。精神を強くするのはそう簡単じゃない、自分の考え方を変えるとか、必要なことと、どうでもいいことを切り分けてどうでもいいことに頭の容量を割かないとか、いろいろあるのでまたおいおい書こうと思いますが、
今日は考え方を変える、のところで
ROLANDさんの「俺か、俺以外か」から
「100人が100人ダメといっても、
その100人が間違っているかもしれないじゃないか」
という言葉に深く納得したことについて書こうと思います。
「みんながこういっている」
そういうことに迎合するのがもしかしたら楽なのかもしれない。
でも「え、ちがくない?」って思って違う意見をもっていても、100人が言っていることと自分だけしか言っていないことがあるときって、「本当はわたしが間違っているんじゃないか」ってすごく落ち込みそうになる。しかも、多数派に限って「それって当たり前だよね」とかいきがってみたり(必要のないどや顔とか)「絶対こうである」という多数だからこそできる押しつけとか、意見を取り入れる姿勢を見せないとか、そういうの結構、ある。
「昔からこうだから」とか(だからなに)
「日本ではこうだから」とか(狭い島国のくせに)
「みんながいっている」とか(お前は自分の意見はないのか)
なんか別に自分の意見が通したいわけではないときでもあたまごなしに「違う」って言われたら自分が日本の中でもすごくおかしい人みたいな気がしてくる。
まぁおかしい人扱いされること自体は小学校の時からあったけれども、また大人になると小学生以上に「がきっぽい」というのか、二枚舌大好き組があっちでいい顔こっちでいい顔しながらまぁ信頼できないコミュニケーションをとってくるものだから
それでも信頼しようとがんばると心と体がついていかなくなるんだな。
なので、あれです。
基本的には100人が言っていることが間違っている可能性もある、と思いながら自分の意見はしっかりと持ち、それでも「みんながこういっている」に流れるのであれば自分はそれにはかかわらない/深追いしない
人間については
特定の人以外、信頼しない(疑えってことではないけど、期待しすぎて自分がショックを受けないように守る)
ことが大事だと思う。
おかげ様で家に帰ると信頼できる家族がいて、変な意見でも受け入れてくれて(というかだいたい月曜から日曜まで日曜討論やっている弟と)なので生きていけているけど
それがなかったらもっとしんどかっただろうな、って思う今日この頃。
ROLANDさんの言葉はときに笑えるしときに納得感がある。
さすがホストの帝王。
こういうのをみると、ホストクラブでちゃんと仕事をしている人っていうのはメンタルも強いしちゃんと自分の考えをもって生きている、だから稼げるんだな、って納得する。
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