どちらも必要、いろんな人がいていい
まじめな不良とふまじめな優等生、どちらがこれからの時代に求められる人材は?
わたしは時代に関係なくどちらも必要な人材だと思います。
ちなみにわたしはふまじめな優等生からまじめな不良に変化して言ったタイプです(高校生くらいかな)
定義はいろいろだと思いますので特に言及はしませんが、つまり最終的には「どんな手段であっても最低限のルールを決めて、生きていくことができる人」になれればいいと思っています。
まじめな優等生(パーフェクト!)不真面目な不良(こりゃだめだ笑)だとしても、生きる力を持っていればいい。
個人の意見ですが、「この世は弱肉強食」だと思います。
※志々雄真実の生き方も好きです。
なんか悪いイメージありますけど、自然界の当たり前を言葉にしただけです。
日本はよい国だから弱者に対するセーフティネットがありますが、基本はこの言葉の通り。
じゃあどうやって生き延びるのか。
それを考えられるなら、まじめな不良とふまじめな優等生どちらも人材として優秀だと思います。
今のご時世会社員であることが安心材料にはならない。会社を辞めたときのリスクを回避するためのすべをいかに会社員時代、もしくは会社員になる前に学んでおくか。それが重要です。
そして、会社員時代にそういった術を学んでもらうために、会社も、社員を教育する義務があると思います。雇っている以上。絶対安定はもうないわけですから、生きる力を会社として社員に着けてあげることも、会社としての責任です。
引き続き今も雇用関係という言葉が表すものはどうしても会社のほうが上に立ちがち。しかしながら本来雇用は対等なものなので、役務提供をしてくれる人たちへの報酬支払+研修=等価になるように制度も設計したほうがいいと思いますね。
そしてその人たちが会社で活躍をしてくれれば、会社がなくなる、業績悪化、といったことが回避できるかもしれない。
まじめな不良とふまじめな優等生。
そんな切り分けでなく、いろんな人がいるということを念頭に、人の教育にかかわっていければな、と思います。
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