広がる世界。
この歌を紹介するのに本当に1ページで終わるのだろうかと思うくらい、この曲には影響を受けた。
やり残したことはないか?
明日があるからとあきらめていないか?
好きなあいつには好きと言ったか?
友に感謝の気持ちは言ったか?
家族にありがとうを言えたか?
いきたい場所へはもう行ったか?
ってもう明日死んじゃうんじゃないかって言うくらい切羽詰まった歌詞なんだけど、生きるための歌なのであることがまたせつない。この人生の1ページは今日しかないっていう、そのメッセージととらえています。
仕事をする上でも「明日でもいっか」「明日伝えればいっか」って思っていて、忘れてしまったり、タイミングを逃したり
今言っていいのかなって躊躇したりいろいろ考えたり、人間って、今やろうと思ったことを行動に移すのにものすごく労力が必要な生き物だけど、それを「今」やったほうがいいことをこの歌い手はよくわかっている。
明日死ぬかもしれないし。
遠くに行っちゃうかもしれない。
本当にまじめに分析し始めると、すごく生きたいのに生きづらさを感じる中でそれでも何か自分というものを残していくために一生懸命自分の痕跡を残すための接触を欲しているように思える。
人は人を欲する生き物だから、当然と言えば当然で、でもそれを思うように叶えられない自己嫌悪と、変わりたいと思いながらも敵がたくさんいる(ような気がして)臆病になっている自分とでも生きたいと思う欲求と。
モラトリアムがさらに延長されているような人生を送っている人の歌なのかと思いました。
こういうのって人が介在してどうにかなるものではなく、自分で自分と向き合って改善していくものだから、抜けるのって難しいと思うけど、過去と向き合ってそこを克服したとき、この人はとてもいい人なんだろうな、と思える内容でした。
(誰かが手伝ってはいけない、自分で治癒していかなければならないこと)
キリショーがそういう性質なのか、どうしてこういう歌が書けるのか、よくわからないけれども、本を読んだりしている限り、すごく繊細なアンテナの持ち主であるということはよくわかりました。
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