様々なキャリア観②
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今思えば復職した時もまだダメ社員でした。リーマン後でみんな気を引き締めているときにぼーっとした考え方を持っていました。ある日上司に呼ばれて「てらっち(当時の呼び名)、うちの会社はね、襟を正す会社になったんだよ」って言われてはじめてリーマン前後のことの重大さに気が付いた気がします。その上司は、怖いと有名な上司でしたが、その時の物腰は柔らかく、逆にこわかった。それから、さすがに0歳児だったので残業なしの働き方は選択したものの、とにかく実績につなげるためにがむしゃらにやりました。
実績といっても前にも述べたように自分に圧倒的営業センスがあるとは思っていませんでしたので、とにかく自分のプレゼンスを上げて、「寺澤さんの仕事だったら安心」と言ってもらえる状態を作らなければならないと思いました。周りの人からのアドバイスを真摯に受け入れ、失敗を恐れず業務に取り組む。その時は目の前の仕事しか見えていませんでした。
それに当時は一番家計も苦しく(2歳までは子供と2人暮らしでした)保育園は認可に入れず、遅くまで預けるので月15万くらいとられる。働いたお金はほぼ保育園と諸費用、おむつやミルクやに飛び、はっきりいって苦しかった。貯金もどんどん減っていくし、キャリアどころじゃない、とにかくクビにならずに働き続ける、しか考えていなかったですね。
ただ、そのころそれだけ目の前のことに集中したおかげで、短い時間で結果につなげるための自身の中での仕組みづくりは少しずつできた来た気がします。また、わたしの意思を汲んで応援してくださった当時の上司には本当に感謝したいと思います。
部署の移動などもあり、まだそれでも当時は風当たりの強い部署もありました。
定時で帰った後に営業さんから電話がかかってきて、「今すぐ会社に戻ってきてください、子供なんて関係ない」とか言われたこともありました。それは絶対できなかったので、会社に残っている同僚にお願いしたりして、しくしく泣きながら毎日過ごしていました。だからキャリアなんて本当に全然描いていなくて、人のキャリア支援をしているのに自分のキャリアを考えていないという。
30歳くらいまでは先を見るというよりも毎日を問題なく過ごすこと、ばかりで頭がいっぱいでした。
さらに続く
※ちなみに、ある日私がぶっ倒れて、私と連絡がとれないと心配した弟がうちに来てくれて、このままでは二人とも死ぬかもしれないみたいな状況に見かねて、みんなで同居することになりました。
反対を押し切って一人で産んだので頼らないつもりでいたのですが、「こりゃだめだー」と思ったら、さらっと実家に帰る決断(というかかーえろ♪って感じ)ができました。
※今日はセミナーがあるので1本のみです。
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