持論からの持論
こちらを読んでいらっしゃる方はだれしも私が持論が強すぎることはすでにご存じであろうと思います。そう、そしてそれが自分でも認識できていてわたしの持論がちょっと飛んでることも自分でよくわかっているので、もう人に同じことを共感してもらおうとか、理解してもらおうとかいうことはあまり思わなくなった。
(理解してくれなくていいよ、ではなく、理解できればしてね、でもできなくてもそれがわたしだから許してね、の域)
そしてうちの息子もまた確固たる持論がるため、ぶつかる。
カエルの子はカエル、持論からの持論。
わたしと息子は合うところもあれば、全く違うところもあるが、それをお互い理解して共存している。
そしてすごいのが「僕は子どもだからね、ママが絶対に譲らないところはママに合わせないと、ご飯が食べていけないからね」と冷静な判断をするという点。
そんなに勉強はできないのに、
いつそんなことを悟った
まぁわたしだって権力をふりかざして言うことを聞かせるようなことはしたくないけどね。
今日の夕飯を決める権利は7:3くらいでわたしにあるんだべよ。
で、この息子の判断だが、子どものうちからこの判断力を持っていることと、持論をしっかり持っていることは、大人になってからすごく強い、とわたしは思っている。
仕事をするにあたって私が一番嫌いなのが自分の意見のない人もしくは意見を述べない人。述べなければないも同じ。わたしはこう思うけど、どう?とか、こう考えたのですがこれで進めていいですか?とか。そういう物事の進め方ができないと、指示待ち人間になってしまう。指示を待ってもいいけど、このご時世「生産性をあげましょう」に対して逆行してる。
だからわたしは持論を持つことはとてもいいことだと思っていて。
これからも持論を振りかざして生きていこうと思っている。
ちなみにそんなあなたが折れるときってどんな時ですか?って質問があるとしたら
「毎日折れてるけど、
寝たらまた立ち上がるんだよ!!!」
これが、答え。
折れない人なんていない。でもたぶん立ち直りが早いのよ。
転んだままでいたって幸せじゃないことを知っているから、すぐに立ち上がります。自然治癒力が強烈というのかな。
持論と立ち直りの早さで、これからも元気に生きていけると信じております笑
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